味酒鈴鹿国 
 

●古い書物に、鈴鹿の国のことが味酒国(まさけくに 又は うまさけくに)」と記されている。
 
 味酒とは「酒がうまいこと」又は「うまい酒のこと」という意味で、当時、鈴鹿の地は美味い酒を産した地域であったことは興味深いことである。

 古い書物は二つあり、ひとつは13世紀頃に伊勢神宮で書かれた「倭姫命世紀(やまとひめのみことせいき)」であり、それは、倭姫命が天照大神の御鎮座する地を捜し求めて、その御杖代として、丹波の国から、伊賀、近江、美濃、尾張から伊勢の国へ入り伊勢度会宮へたどり着くまでのことを記したものである。もうひとつは、804年に撰進された「皇太神宮儀式帳」であり、「倭姫命世紀」と同様な話の部分である。
※倭姫命は垂仁天皇の次女で、日本書紀において、天照大神の命を受け、鎮座の地を捜し求めた人物とされています。

 「倭姫命世紀」の中で、倭姫命が伊勢国の桑名野代宮に4年間遷座の間、川俣の県造祖大比古命(かはまたのあがたのみやっこ おやおほひこのみこと)が参り来、その時に倭姫命が「汝が国の名は何ぞ」と問うと、祖大比古命は「味酒鈴鹿国奈具波志忍山」と答えている。
 
  「十四年乙巳。遷幸于伊勢国桑名野代宮。四年奉斉。  (中略)  次川俣県造祖大比古命参相支。汝国名何問賜。白久。味酒鈴鹿国奈具波志忍山白支。然神宮奉令幸行。又神田並神戸進支」

 また「皇太神宮儀式帳」の中では、倭姫命が鈴鹿小山宮に鎮座の折、川俣の県造等の遠祖、大比古に対し、「汝が国は何か」と問うと、「味酒鈴鹿国」と答えている。
 
 「次鈴鹿小山宮坐只。 彼時 河俣縣造等遠祖、大比古乎、汝国名何問賜只。白久、味酒鈴鹿国止白只」

 
 川俣の県造に関係する「川俣神社」についてであるが、「延喜式神名帳」には伊勢国253座、うち鈴鹿郡19座のひとつとして川俣神社があげられている。
 
 古代における川俣の地が不詳であったため、社名の川俣の意にかなった鈴鹿川沿岸の各所にその伝承地を生むにいたり、現在、鈴鹿の地には「川俣神社」と称する神社が次の6社ある。上流部から
 (1)鈴鹿郡関町大字加太板屋5470
 (2)鈴鹿市和泉町213
 (3)鈴鹿市西富田町709
 (4)鈴鹿市中富田町5
 (5)鈴鹿市庄野町1622
 (6)鈴鹿市平田町363
 
 上記6神社の中で、川俣県造祖大比古命を祭神とする神社は、(1)の関町加太板屋にある川俣神社と(4)の鈴鹿市中富田にある川俣神社のみである。
 また、関町加太板屋の川俣神社では、その昔、祖大比古命がお宮を造り神田、神戸を献上するとともに、味酒を大神に奉られたということで、現在も12月3日に味酒祭が行われている。

 延喜式神名帳における当時の式内川俣神社がどこにあったかは、これまでの調査においてははっきりとしていない。
 社名の「川俣」は地名によったもので、河川が分かれている所と推測とされている。
 また、奉斎氏族である川俣氏族は大比古命を祖とする鈴鹿の豪族であったと見られるとともに、その本拠地は牧田郷と推定され、当時の牧田郷の所在、範囲等は明確ではないが、一応、井田川・国府の近辺と考えられている。
 この井田川・国府近辺を、川俣神社の鎮座地として想定する場合、鈴鹿川の本流と第一の支流である安楽川の合流する地点であり、その地勢が川俣の意に合致すること、また古墳・遺跡の分布が最も濃密な地域で、後に國衙(朝廷の政庁)が置かれるなど早い時期から開墾された地であったことから、その環境は式内社鎮座地としてふさわしい地域であったと考えられる。
 
 なお、郷名「英多」は、川俣県造に因んだ地名であったと見られることから、現在の亀山市川崎町付近と見られる英多郷も川俣氏族の居住地域として挙げられ、この地も鈴鹿川支流の御幣川・八島川・安楽川の合流する所で、社名の川俣の意にかなった地形といえ、一考すべき地とされている。
県造とは、県主のこととされている。
奈具波志(なぐはし)とは、「名くはし」で「名も霊妙神秘である」意味である。
忍山(おしやま)は、現在の亀山市野村町の忍山神社のことを指す。
 以上 「倭姫命世紀注釈」(和田嘉寿男著)、「延喜式神名帳 東海道 伊勢國二百五十三座」、「三重県神社誌」(三重県神社庁編集発行)及び「式内社調報告」(式内社研究会編集、皇學館大学出版部発行)を参考に記述


 ※ 延喜式神名帳について
 平安時代の律・令・格の施行細則を集成した法典であり、醍醐天皇により延喜五年(905)八月に編纂を開始、二十二年後の延長五年(927)十二月に完成したもの。
 五十巻三千数百条の条文は、律令官制の二官八省の役所ごとに配分・配列され、巻一から巻十が神祇官関係である。 
 延喜式巻一から巻十のうち、巻九・十は神名帳であり、当時の官社の一覧表で、祈年祭奉幣にあずかる神社二千八百六十一社(天神地祇三千百三十二座)を国郡別に羅列している。
 ここに記載された神社が、いわゆる「式内社」であり、平安時代(10世紀)にすでに官社として認定されていた神社である。



●奈良時代以降、鈴鹿山麓の地は鈴鹿山脈や鈴鹿川からの良質の伏流水が湧出し、それが地域に極上の酒をもたらしたようであり、そういった歴史的、地理的、文化的な背景を受けて、9世紀に書かれた「皇太神宮儀式帳」や13世紀に書かれた「倭姫命世紀」において、鈴鹿の国が味酒国と記されたのだろう。


●鈴鹿の枕詞も、「味酒」とされている。



●なお、鈴鹿の国または鈴鹿川流域においては、かつて多くの造り酒屋があった(楠町だけで、かつて30を超える造り酒屋が軒を並べたそうである)が、現在はその面影はなく、次の2社のみとなっており、味酒国といわれた地域にもかかわらず残念なことである。
 
 現在の鈴鹿市、亀山市、関町という地域には、清水醸造株式会社(鈴鹿市若松東3丁目)
 現在の鈴鹿川流域(関町、亀山市・鈴鹿市・四日市市の一部、楠町)においては、(株)宮崎本店(楠町南五味塚))が残るだけとなっている。





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