伊勢湾のアユ、鈴鹿川のアユ
   伊勢湾のアユ                            

  伊勢湾内の海アユの供給源はいわゆる木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)とその隣の町屋川、津と伊勢両市の間の沿岸に開口する雲出川、櫛田川、宮川などが主なものである。

 木曽三川を流下して海に出たアユは、最初、伊勢湾内の恒流に乗って移動し、11月から12月までの間は四日市市と知多半島を結ぶ線より北側に分布する。その後、湾北部を南下する恒流に乗って南へ移動し、成長するしたがって、分散するものと考えられる。
 いっぽう、雲出川、櫛田川、宮川などをくだった仔アユは、沿岸部に多く分布し、沖合にはあまりみられない。これは伊勢湾南西部の恒流が岸に沿って流れているためと推定される。

 11月下旬から12月下旬の海アユは、昼間は水表から2メートル内外の深度に分布し、夜間は約10メートル内外の深さまで分布する。体長1.2センチに成長したアユは伊勢湾南西部の沿岸から沖合にかけて採捕されるだけで、湾北部ではとれない。だが、採捕されないからといって生息していないと断言できない。この頃のアユは泳力が発達し、採捕ネットにもかかりにくくなっているからである。また、その分布と湾内恒流との間には一定の関係がなくなっている。これも泳力が発達していることの証左である。

 1月頃になると、木曽三川の河口から3キロ沖の揖斐川導流堤の西方水域(水深6〜10メートル)で体長2センチ以上のアユがみられるようになる。この時期には、河口にはまだ接近していない。
 2−3月には水深5メートル程度の浅い沿岸帯に多く分布するようになるほか、河口内にも生息域を広げる。
 こうしてしだいに成長し、体長5−7センチになったアユは、春暖の候、川の水のぬるむまでその付近を遊泳し、体長を整え、川へのぼる日に備えている。

出典小山長雄氏著 「アユの生態」より抜粋

                                              
   鈴鹿川のアユ  

 鈴鹿川のアユは、建設省が平成5年から6年に実施した『河川水辺の国勢調査』によると、下流部で多く確認されているが、それは河口から9.7km地点に架けられた鈴鹿第2頭首工が遡上を妨げる大きなバリアとなって下流部に滞っているものと考えられます。
 これらのアユは、当該頭首工の下流部で産卵していることが確認されているが、上記小山氏の著書で述べられているとおり木曽三川などがその大きな供給源となっているものと推測されています。
 その数量については、遡上シーズンにおける鈴鹿川の水量の減少や稚魚の時期において大切な生息場所となっていた伊勢湾岸部での藻場の消滅に伴い、減少していることが考えられます。
 一方、上流域では、毎年春に鈴鹿川漁業協同組合によりアユの稚魚等の放流が行われています。

 高齢者の話によると、鈴鹿川水系は昔、現在よりも水量が多く、淵や清水による川の流れもあり、変化に富んだ河川環境を持ち、多様な魚が多く生息していたようです。
 アユについても、昔は、川が黒くなるほど遡上しいたるところで取れたということです。
 特に支流の御幣川では、古来より伊勢神宮に鮎を奉献し、「御幣川の鮎」として、伊勢神宮三大御贄のひとつとされ、時代時代で中断しつつも、それは昭和の始めまで続いていました。御贄神事として記録に残っており、川の名前の由来もそこから来ているとのことです。
 また、鈴鹿川と安楽川の合流部に「ザラ場」と呼ばれた一面小石の場所があり、そこがアユの産卵場になっていたとのことです。

 昭和30年代以降、下流部に農業用堰堤等が多くでき、それ以降、アユやウナギといった伊勢湾から遡上する魚が激減し、特に落差の大きな堰堤の上流部では全く魚類の遡上がみられなくなり現在に至っています。

 そのような堰堤に魚の遡上に有効な魚道を整備し、昔のようなアユ、ウナギなど海から遡上する魚類がたくさん泳ぐ川に戻したいものです。

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