「シーボルトのオオサンショウウオの捕獲地の考察」

             

 18233月、オランダ人シーボルトは江戸参府の途中、現在の亀山市関町坂下で地元の者からオオサンショウウオを譲り受けた(シーボルト「江戸参府日記」)。
 シーボルトはそのオオサンショウウオを生きたままオランダに持ち帰り、ヨーロッパの学会に発表し、それは、世界に発表された第1号個体としてオランダのライデン博物館で1871年まで生息した。

しかし、シーボルトのオオサンショウウオがどこで捕獲されたものであるかは、手に入れた関町坂下を流れる鈴鹿川においてオーサンショウウオの生息記録がほとんどないこと、また、記録に残る「鈴鹿山のおくでの川」とされた「おくで」という地名や川の名が坂下近辺にないことなどから、未だに謎とされている。
 そのため、多数生息する伊賀から運ばれたとする説、滋賀県甲賀市にある「奥出」から運ばれたとする説、また単に鈴鹿山の奥で(おくで)捕獲されたとする説など諸説があるところである。 

「水辺づくりの会 鈴鹿川のうお座」では、このたび、鈴鹿川流域約150集落の高齢者約500名から魚の古称について聴き取り調査を実施(20022005)し、併せて数多くのオオサンショウウオについての情報も採録した。(「鈴鹿川における魚等の昔の呼び名(2006年)」

 また、「鈴鹿の国方言研究会」が地域の川や山に関する方言調査を実施(2008〜2011)し、関係する方言情報を採録した。(「鈴鹿郡における天候等の昔の呼び方と伝承・諺(2011年)」)

この両調査結果から(1)鈴鹿山と呼ぶ地域、(2)水系でのオオサンショウウオの生息情報の分布、(3)「おくで」の地名に良く似た発音の「奥戸(「おくど」又は「おくと」)」と呼ばれるオオサンショウウオ情報が数多く分布する地域の存在、(4)関町坂下への近接性、という四つのポイントから、シーボルトのオオサンショウウオの捕獲地は 鈴鹿川最上流部(大滝下流部付近)又は小野川中上流あるのではないかと考察される。
 
1「鈴鹿山(suzukajama)」について
 現在の「鈴鹿山脈」は、明治時代後半から大正時代にかけて命名された地名であり、方言調査の結果からは、代表する山の名で呼ばれたり、三重県側では離れると単に「西の山」と呼ばれたようでる。
(1)鈴鹿山(スズカヤマ)と呼ぶ地域 
 方言調査から「鈴鹿山(スズカヤマ)」と言う呼び方は非常に限られた地域でみられた。
 主として現在の関町坂下地区の高齢者が鈴鹿峠付近の山並みを呼ぶ呼び方であり、その他、関町、白川地区、神辺地区等の山仕事をかつてした高齢の人々の一部が使った呼び方である。
 方言調査から加太地区や柘植地区、野登地区ではそうした言葉はみられず、また土山町山内地区では鈴鹿峠付近の山並みを「スズカサン」と呼ぶ。
 こうした「スズカヤマ」と呼ぶ言葉の存在地域から、関町坂下地区の住民がオオサンショウウオを持ち込んだと考えるのが自然である。
(2)鈴鹿山の場所
 次に「鈴鹿山」の具体的な場所であるが、公図上は、関町坂下から鈴鹿峠に向かう旧道から南側の(さらに南にある「字大滝」との間)で尾根までの地域が「字鈴鹿山」とされている。

・関町坂下の高齢者は「字鈴鹿山」の地域をスズカヤマと呼ぶ。
それは鈴鹿峠付近の山並みで、その範囲は高畑山付近から三子山付近の山並みをさす言葉であるという。

 江戸参府紀行に残る記述である「鈴鹿山」とこうした方言調査の結果から、オオサンショウウオを持ち込んだ人は坂下地区在住の者であると考えるのが自然である。
(3)奥出山について
  関町坂下地区の高齢者から聞き取りでは、地域に「おくで」と呼ばれる地域はみられない。


1 小野川について
 「小野川」は、現在の亀山市白木町明星が岳の西側に位置する鈴鹿山系に源を発し、亀山市小野町・太岡寺町で鈴鹿川に合流する小支流である。シーボルトが譲り受けた坂下から峰ひとつ東側に位置する谷を流れる川であり、地元では高齢の山林関係者を中心とした人々の間で昔からオオサンショウウオの伝承が伝わる川でもある。

2 小野川をシーボルトのオオサンショウウオの捕獲地であるとする理由
 (1) 鈴鹿川におけるオーサンショウウオの生息状況
  
  ア 鈴鹿川での記録と記憶

 鈴鹿川においては過去におけるオオサンショウウオの生息記録がないため、その生息河川とされてこなかった。しかし、近年、オオサンショウウオの生息が2件(個体)確認されている(清水・松月(1995))。

 また、このたび、「水辺づくりの会 鈴鹿川のうお座」において実施した鈴鹿川流域集落の高齢者からの聴き取り調査結果から、これまでにオーサンショウウオについて情報を約37件(捕獲又は目視によるもの22件,伝聞によるものを15件:同一個体と見られるものは1件と整理した)採録した。これらは80歳を中心とした高齢者からの聴き取りであるため、情報としては昭和10年前後のものが多い。

 これまでの河川改修により環境が大きく変わってしまった現在の鈴鹿川は、一部の区間を除きオオサンショウウオの生息場所として期待はできないが、かつては、鈴鹿川本支流においてオオサンショウウオが生息していたことはほぼ間違いのない事実と考えられる。
 なお、関町坂下を流れる鈴鹿川上流部は、当事から急流であることもあり、オオサンショウウオの生息地としては適さず、生息情報も少なかった。
     
 イ 小野川での伝承
 小野川においてはオオサンショウウオの生息記録はないが、小野川中流域にあたる「大釜」、「小釜」と呼ばれる淵がある所から「奥戸」と呼ばれる上流域にかけては、地元の高齢の山林関係者を中心とした人々の間で昔からオオサンショウウオの伝承が伝わる所である。明確なオオサンショウウオの捕獲・目撃事例はないものの、明治時代から昭和30年ごろまでのオオサンショウウオについて伝聞情報が数多く採録され、鈴鹿川水系の中でも特異な地域となっている。

(2) オオサンショウウオ情報が多い「奥戸(おくど)」と呼ばれる小野川中上流域
 
ア シーボルトの「おくで」とよく似た発音の「奥戸(おくど)」と呼ばれる地域の存在

 地元の坂下地区の高齢者や地域の山林関係者の間では、小野川中上流域は、広く「奥戸(「おくど」又は「おくと」)」と呼ばれている。厳密には小野川は羽黒山の北側で本流と支流に分かれ、西側の支流の谷を「花之木谷」と呼び、東側を流れる本流沿いの地域を「奥戸」と呼び区分けされている。 

 公図上では、その区別はなく併せて「花之木谷」、さらに上流部は「唐谷」とされており、「おくで」も「奥戸」という地名も存在しない。

 注目すべき点は、「奥戸」とシーボルトの「おくで」の両発音が極めて似ていることにある。約200年前の方言が強かった時代において、生まれ育ちの違う人同士が聴き取りした場合に「おくで」と「おくど」とは実質的な違いはないか、又は当然起こりうる聴き取り誤りの範囲内にあると考えられる。

 なお、「奥戸」という名が、公図上になぜ残らなかったかについては、当該地域が旧坂下村ではなく、旧白川村(現在の白木町)に属していたためであり、旧白川村では明星が岳の西側は一括して「花之木谷」と呼ぶため、明治時代以降、公図が作られた折に、白川村の呼び名により地名がつけられたものと見られる。

  イ 「奥戸」で多いオオサンショウウオの生息情報

 高齢の山林関係者を中心とした人々の間では、小野川水系の中でも「奥戸」と呼ばれる中上流域を中心にオオサンショウウオの伝承が伝わるところであり、聴き取り調査でも具体的な6件の伝聞情報が得られた。

(3) 坂下への近接性

 オオサンショウウオを捕獲して、シーボルトが滞在した関町坂下まで運ぶには、距離的な要素が重要となる。

 鈴鹿川沿いの坂下と小野川との間には峰があるが、昔より鈴鹿川方面(坂下・沓掛)から山林関係者の出入りが多く、何本かの山越えのルートが昔から使われていた。小野川の谷は少し急傾斜ではあるものの、小野川中上流域から山越えをし、坂下までは徒歩で30分から60分程度でいくことができる距離にある。
 
 小野川でオオサンショウウオを捕獲し、たらいに入れ、担いで坂下まで運ぶのに無理のない距離であると言える。

                                 2006年5月28日

                                 水辺づくりの会 鈴鹿川のうお座 桜井好基




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