シーボルトオオサンショウウオ
 ドイツ人医師フィリップ・シーボルトは、1826年3月27日に江戸へ旅の途中、現在の三重県鈴鹿郡関町坂下(鈴鹿峠の東に位置する峠近くの昔の宿場町)でオオサンショウウオを手に入れた。(その帰路である同年5月30日にも同じく関町坂下で同様なオオサンショウウオを手に入れた模様)。
 そのオオサンショウウオは長崎でしばらく飼われた後、1830年オランダに生きたまま運ばれ、1881年まで生きたとされている。

 このオオサンショウウオはシーボルトによりヨ―ロッパの学会に発表された。即ち、世界に発表された日本のオオサンショウウオの第1号個体となった。

・1826年 地元民からオオサンショウウオを手に入れる。(全長30cm程度の模様)
・1830年 オランダへ運ばれ、アムステルダムの動物園ARTISで飼育される。
・1881年 1.14mまで成長し、死亡(確認されているだけで55年生息。)

※ シーボルト(Siebold, Philipp Franz Balthazar von, 1796-1866)は、日本で収集したたくさんの標本を本国オランダへ送り、1983年に帰国するとライデン市の国立自然史博物館館長テミンクと館員シュレーゲル、デ・ハーンの協力を得て、1833年から1850年にかけて美しい図版を豊富に配した『FAUNA JAPONICA』(日本動物誌)全五巻を刊行した。


シーボルト日本動物誌のオオサンショウウオ


 シーボルトの江戸参府日記」 (斎藤信訳 兜ス凡社)より
<京都から江戸への旅(往路)> 
 3月26日草津をたち、石部町、水口を過ぎ、土山で泊(経路のみ記述)

 3月27日(旧2月19日)早朝土山をたち、蟹ケ坂の山地を通りすぎる。前夜氷がいっぱい張ったのを見る。われわれはスサキ(日誌には鈴鹿)で休み、険しいけれど、手入れのよい山道を越えて坂の下に向かう。ドクトル長安(門人湊長安をいう)は私のためにニ、三日先行していた。それで私は彼の骨折りでたくさんの山の植物と一匹の珍しいサンショウウオ(Sun-sjo-no-iwo)を手に入れた。即ち山に生息する魚で、鈴鹿山(Suzukajama)、特にオクデ(Okude)山の渓流にいるもので、そこからときどき岸の湿地にやってくる。イモリの名で知られているもっと小さい種類のものを,悪液質の疾患の治療薬として売っている。

 筆捨山の越え、関で昼食をとり、関川に沿って進み、2時頃亀山に着き、夜の11時頃に四日市につき泊
(行程のみ記述)


<江戸から京都への帰り道(帰路)>
 5月29日(旧4月23日)四日市から庄野、亀山の城を過ぎ、関への旅を続ける。景観は一般に平坦で稲田や菜園や松林が続き、そこかしこに小さい池があり、種々のスイレンを見た。

 5月30日(旧4月24日)急いで坂の下へ向かって出発。当地でドクトル・チョウの知人が動物・その他の天産物を集めていて、昨日私にそのことを知らせてきた。そこではいろいろなものの中にひとつのたいへん大きな生きているイモリや数種の薬草や鉱物を見つける。(中略)



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